山城ゑびす神社
山人翁は、創建にあたり乃木夫妻お二人及び勝典・保典両ご子息の四柱を御本殿にお祀りすることを、時の内務省に願い出ましたが、当時は乃木大将一柱の奉祀しか許可されませんでした。そこで山人翁は、大正7年、御本殿の西隣に靜子夫人の御霊をお祀りする社殿を建てることを願い出、「靜魂神社」が大正8年に建てられました。
もとより夫の後を迫って自刃した靜子夫人は、明治の婦人・大将の妻・二人の子息の母として、まさに「良妻賢母」「婦女の鑑」と崇められ、その「生き方」を顕彰するお社を建てようという機運が世に高まっていました。
一方、靜子夫人御自身は、神社に祀られるようなことを、その生前の「生き方」からして、決して望まれていないだろうし、御霊もそのようなことは、お断りになることがあっても、お喜びにはならないのではないかと思案され、建立が遅くなったのではないかと考えられます。
その後「恵比須神」を首座とする「七福神」が合祀され、「靜魂七福社」と称されるようになりました。
七福神合祀に至った年代や経緯は残念ながら不詳ですが、以来地元伏見を中心に、南山城地域唯一の「ゑべっさん」として、商売繁盛の信仰をあつめて参りました。
平成18年、乃木神社創建90周年を機に、山人翁の創建当初の望み通り、靜子夫人の御霊を乃木神社御本殿へお遷しし、乃木大将と仲睦まじく相並んでお祀りすることとなり、「靜魂七福社」は、「山城ゑびす神社」に改称しました。
また、平成27年、山城ゑびす神社御本殿の修復工事のため遷座祭を行った際に、「七福神」の奉祀をあらため、主祭神である「恵比寿神(蛭子皇子)」のみ奉祀することとなりました。
1月の9・10日は「ゑびす祭」が賑やかに行われます。