長府乃木邸(復元)
乃木大将の父十郎希次は、江戸麻布毛利邸で槍術及礼法小笠原流の指南番をする禄高百五十石の武士でした。しかし幕末の藩政改革時に改革案を上申し、これが上級藩士の機嫌を損ねる結果となり減禄二分の一となりました。その後長府(山口県)に帰り閉門蟄居の身となり、住家は、足軽の家を借りてそこに住まわれたのです。その家がこれに見る旧邸です。
ここに家族七人が住われ右側の米搗場では乃木少年が米を搗きながら本を読んだところです。この等身大の塑像は、大将の父希次と母寿子と少年時代の大将の姿で、大将の甥にあたる長谷川榮作の作によるものです。
乃木大将は幼名を「無人」と云い、幼時には三歳下の妹にさえ度々泣かされたというほど気弱温順な性格であり、一方では兄弟思いで妹たちの髪を結ってやるなど面倒見が良く器用に針を使って縫物をするという雄々しさと云うよりも優しさを多分に持ち備えた少年でした。両親はこのような乃木少年を腑甲斐なく思い、家庭教育の方法を考え毎朝出仕前に必ず一条の教訓を与え出かけるようにしました。その場面がここに現されています。
尚、この教訓は『乃木家家庭訓いろは數え歌 學習院長時代の訓示要領 乃木大将詩歌抄選』として冊子にまとめ、授与所にて頒布しております。